ガチネバで大泣きした結果、小島健さんがうなぎを道頓堀で獲った話を聞くまで、ストレスで胃痛と仲良くしていた時期があった話
題名のまんまです。今回は愉快なオタクの狂い話を聞いてください。
皆さんは、見に行った舞台が良すぎた結果、自分の人生に起こった数々のトラウマが刺激され、その後ストレスを抱えたことがありますか?
私はあります。
忘れもしない2023年1月
THE GREATEST SHOW-NEN
舞台『ガチでネバーエンディングなストーリぃ!』
東京公演を観劇した日の話です。
その土日はとても忙しい土日でした。
エイト東京ドーム≫ガチネバ≫エイト東京ドーム
と土日だけで3現場ある週末。
まずそれだけでめっちゃ大変。情緒と体力が。
私はライブで大泣きするタイプのオタクなので、例に漏れず土曜日のライブでしっかり大号泣。でも、それはそれとして終わったあとはガチネバに備えて感情をしっかり高めていました。
何を隠そう、Aぇ担になってからAぇ! groupの現場は初めて。
正門さんのヴィンセントはご縁があったので、観劇させていただいたのですが、自担の小島健さん含む他メンバーはまじで7月以来。
ヤバ倍率だったこともあり、握れたチケットはこのエイトのライブの前の1公演だけ。
絶対にすべてを目に焼き付ける!!!!!!
そう思って会場に入りました。
ところで話は変わりますが、私にはアイドルを応援するにあたって大きなトラウマがあります。
前回のブログ(https://kuma625.hatenablog.com/entry/2023/03/27/102934 )でも少し書いたのですが、私の中で渋谷すばるさん脱退から錦戸亮さん脱退までの約一年が、すごくトラウマで。
ずっと一緒、と歌を作った人達が、ライブで歌った人達が、私達が見える形での永遠を手放してしまったことが本当に辛くて、苦しくて、しんどくて。
ずっとアイドルとして、グループとして、大好きな人たちが死ぬまで一緒にいてくれることなんてないんだ、そうきっぱりと告げられた気がしました。私達が知らないところでは会ってるかもしれないけど、表立ってそれを言うことはきっとほぼないだろうし。(関ジャニ∞に関してはたま〜〜〜にメンバーから元メンバーの名前出るけどね。そういうところ最高だよ。)
本当に苦しかった。現実って残酷だなぁ〜とすごい思いました。
だからそれ以来、永遠なんか信じず、いつか何か起こるかもしれないと思って、いろんなグループに手を出してました。予防線を張って、どこかに何かが起きても自分の気持ちの均衡を保てるように、界隈ジャンル問わずめちゃめちゃ掛け持ちオタクになりました。
何か起こったときに、しんどいのは自分だから。逃げ先があれば、それを忘れられるから。そうやって、どこかを応援することよりも、自分の心の安定を保つために「オタクを続けること」を優先しました。していました。
実際、数年前に大好きな声優グループが解散することが決まったとき、本当にしんどかったですけど、他にも逃げるところがあったので、なんとか情緒を保てました。
そんな私が、ガチネバを見たんです。
ガチでネバーエンディングなストーリぃ!を見たんです。
泣いたり笑ったりしてすごく忙しかった1時間半強。
晶哉ちゃんの作った「ストーリぃ!」は、自分の仕事や他のいろんなことでブチ当たってる壁にもう一度チャレンジしようと改めて思わせてくれたし、正門さんの鋼の心は笑っちゃいけないのはわかってるけど、クスッとしてしまいました。
そんな中、終わらないストーリーを終えたメンバーが「終わらんストーリーなのに終わるんか?!」と関西弁でステージに『Aぇ! group』して存在したとき、この物語の本当の意味での終わりを、彼らはどうしようと思っているんだろう、と思いました。
そして六人が歌う「END OF THE STORY THE」
歌詞の一つ一つから、彼らがこの先の未来も6人でいようとしてくれていることが伝わってきて。
わたしたちと同じように彼らがこの世界で生きていること、アイドルという活動をこの先も6人で続けようとしている事が伝わってきて。
そんな彼らは、この物語を自分たちのアイドル人生に繋げて、本当に終わらない物語にしてしまいました。
この事実が私の中で本当にしんどくて。
永遠はないって、そうやってアイドルを応援してきた私にとって、この先のわからない未来に対して「僕らは僕らを続けよう」と歌う六人が眩しくて、怖くて、また裏切られたらどうしようという気持ちでいっぱいで。この六人の物語にいつか終わりが来てしまう日が来るんじゃないか、そう考えると本当に辛くて。でもそんな終わらない物語を続けようとしてくれている六人を信じられない私も嫌で。
終わったあと、メンバーが捌けて、会場が明るくなっても、苦しくてきつくてしんどくて、隣の方が話しかけてくれるまで、ずっと泣いていました。
舞台自体は本当に良かった、死ぬほど良かった。この楽しいときが永遠に続けばいいのに、そう思うぐらい素晴らしかったです。
永遠に続けばいいのに。この六人が。
この六人を永遠にしたい。私の中だけでもいいから永遠にしたい。
そう思えば思うほどどんどんどんどん辛くなってきて、次の現場である東京ドームにつく頃には、軽い鬱状態になってました。
しかも、乗り越えたはずなのに、5人のエイトをこれから見るのか……と現実を突きつけられた気分になっていて、余計に考えがマイナスに向かっていました。
そうして、怒涛の二日間を終え、日常生活が帰ってきました。
おかしいな、と思ったのは火曜日頃。
胃が、痛いのです。
ずっとキリキリしてて。めっちゃ痛いんですよね。仕事中とか。絶え間なく痛いんですよ。
でもそれ以上にメンタルがキテたので、まぁメンタルに比べれば………と放置していました。いずれ治るだろうと。
でも何日経っても治らないのです。
次の日も、その次の日も。
流石になんかの病気だと、これはまずいと、そう思って『胃 痛い キリキリする』と、とりあえず検索しました。
『突発的に胃がキリキリと痛み始める胃痛です。 原因は暴飲暴食や多忙によるストレス、細菌・ウイルスの感染などがあります。』
ストレス……??!??!?!思い当たる節………?????!?!
ガチネバ見てガチでストレス抱えとるやんけ??!??!?!??!?!
流石にマジ??!??!?!になりました。こんな愉快なことあってもええんか????てかこれの表現は愉快であってんのか??!??!?!
『Aぇ! groupが永遠になってほしいけどそれが信じれないからストレス溜まって胃痛を引き起こしました!!!!!!』
これなんの冗談??????嘘でしょ?????
起こってもない未来に対して不安になって胃痛を引き起こすなんてことある??????人生初やが???????なんて、自分の体がいかにアイドル中心で回っているかがわかりました。
いや確かにアイドル以外でテンション上がることあんまなければ感情の起伏も少ないし、最近褒められて本気で喜んでも「本気で喜んでます???めちゃめちゃ棒読みじゃないですか!!」なんて怒られたけども………。
えぇ………うそでしょ…………と、正直自分にドン引きしました。聞いたことない。こんなストレスのかかり方するオタク。
でも、ドン引きしたところで胃痛がおさまるわけでもなく。正直ずっとしんどかったです。オモロイけど「ヤバwww」という感じではなく、「ヤバ……ハハ……」みたいな。アイドルに情緒こんなに握られて、はぁ、起こってもないことに振り回されてんなぁ……の気持ちのほうが強かったです。
そんな私の胃痛がおさまったのは、何を隠そう『Aぇ! group小島健 道頓堀でニホンウナギを発見』のニュースが飛び込んできた日でした。
これにもちゃんと理由があります。いやまぁこれだけ聞いたら「ナンデェ??!??!?!」にはなるのですが。
最初の感想は「大好きな小島くんが歴史的快挙をしてしまった、すごい、やばい、かっこいい。」でした。あと、もっと盛り上がれ!!オラ!!とも思ってました。小島くんはほんとにジャニーズの星に生まれた『持ってる男』だよ。流石。
じゃあなぜこれで私のストレスがおさまったのか。
それは「Aぇ! group 小島健さんの捕まえたうなぎが博物館に半永久的に残ることになった」事実を知ったからです。
そうです。「Aぇ! groupの小島健さん」の名前は、博物館で永遠になったのです。
Aぇ! groupの名前が、後世に残る。
それだけで私は大泣きしました。
『Aぇ! groupの小島健さん』が、『関西ジャニ博』という番組内にて、道頓堀川でニホンウナギを発見した、この事実は何がなんでも博物館がある限り残るのです。論文の記録が消されない限り残るのです。
Aぇ! groupが永遠になった、そう思いました。
6人が6人をずーーっと続けてくれようとしているのは大前提として、でも実際永遠なんてないし、そんな簡単なものではないけど、それでも、私というAぇ! groupを応援する一人の人間が、その事実に救われたのです。
私の不安を、小島くんがぜんぶぜんぶぜーーんぶ、なくしてくれました。本当に魔法使いみたいだね、なんて少し思ったりして。
このご時世、この先の未来がどうなるかなんてわからないし、死が六人を分かつまで、笑っていてほしいなんて、私のエゴでしかない。
それでも私は、この先もAぇ! groupが終わらないストーリーを続けようとしている事実も、小島くんがうなぎを取ったことによってAぇ! groupの名前がこの先も残り続ける事実も、全部全部幸せで、嬉しくて、Aぇ! groupを好きでよかったって思う一つの要因で。
6人が6人でいることを続けてくれようとしてるのも、めちゃくちゃ幸せで。
この先が、6人の未来が、今の私の原動力で楽しみになっています。
全国ツアーもそろそろ終盤戦。
末規がとある雑誌で、今後の予定を何も聞かされてないと言っている記事を読んで、びっくりすると同時に、この先彼らを待ってることを想像して、ゾクゾクしました。
6人とこのさきもずっと素敵な未来が一緒に見たい!!!そう強く思っています。
最後にはなりますが、小島くん。うなぎ取ってくれて本当にありがとう。うなぎ取ってくれたのが小島くんだったおかげで、命が救われました。
今の唯一の心残りは、全ツでうなぎとかかれた全身タイツの小島くんの姿を生で見れなかったことです。またどこかで披露してください。
18祭落ちの新規Aぇ担の沼落ちブログ
知ったのは結成日、初めましては2020年の728の日、再会は2022/7/17。
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eighter兼Aぇ担、そう名乗り始めたのはつい最近の話。
このブログで、私がAぇ担に転がり落ちたある夏の話と、そこまでの日々と、それからの毎日の話をさせてください。
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近年、私eighterと名乗ることも億劫になる日々とともに過ごしてきました。
私の中で、どうしても7人の思い出が強くて、幸せで、戻りたい日々で。
未だに脱退の夢も、再結成の夢もたまに見るぐらいにはトラウマで。1年半くらい前まで、真ん中に立つ小さい赤い人も、タレ目で笑う黄色い人も無意識にずっと探してました。
2019年のAぇ! group結成のとき。2018年のなにわ男子の結成のときの”大倉忠義プロデュース”の文字を見たときと同じで、”関ジャニ∞の横山裕プロデュース”という文字を見て、驚いたと同時に、彼らはコントをプロデュースしてもらうのか……ん?コント……??となったことを覚えています。
でも当時の私はエイトを見ることもままならなくて、どうしてエイトの面々がそれぞれのやり方で後輩に目を向けているかがわからなかったです。だから、さほどの興味もわかず、大倉さんの考えも横山さんの考えもわからないけど、知ろうとも思わないから、新しいグループができること、横山さんがプロデュースするということ、この2つを事実として知っているだけでした。
Aぇ! groupに対しての興味が変わったのは2020年7月28日、『Johnny's DREAM IsLAND』の配信。
正直5人のエイト見るのきついな……見たくないな……という思いが強かったんですが、私の中でエイトを、というか自担の村上信五さんを見ないという選択肢がなかったので、ちゃんと配信チケットを買って、しっかり配信を見ました。買ったのは結構ギリギリだったし、なんで見ようとしてるんだ……と配信前は思ったけど。
でも始まってみると、関西らしい演出と、関西だからこそ生まれる楽しさと、年齢関係なく前のめりな関ジャニ∞に、コロナ禍ということもありエンタメにめちゃくちゃ飢えていた私は、ずっと笑顔でした。村上さんめっちゃ頑張るやん……いやその前の事前YouTubeメンカラ会議から忖度されてるなとは思ってたけど……主人公……??今日もお姫様……??でした。とっても可愛かったです。(隙有自担語)
でも、途中で挟まれるJr.と先輩で歌うコーナーで、何がなんでも見てよかったと思いました。エイトはAぇ! groupと『勝手に仕上がれ』を歌唱。
2グループでバンド形式。見たとき、初めて見る形にワクワクしました。エイトが先輩だ、という気持ちもあって、余計に。
勝手に仕上がれ、私の中ですごく思い入れが強い曲で、その曲を後輩とやることに対して、嬉しい気持ちがあって。家で一人でコールして、懐かしいな、とも思っていました。
末澤くんが、すばるくんのパートを歌ったときです。
違うことはまるっと承知で、でも、『帰ってきた』って思いました。いないはずの、探してた人が、エイトに帰ってきたって。
今聞くときっとそんなことないんだろうけど、当時はほんとに、ほんとに、帰ってきたって、そう思ったんです。歌声が似てて。似すぎてて。
涙が止まりませんでした。本当に、めちゃめちゃ泣きました。その後リチャくんが、亮ちゃんのパートを歌ってくれていることにも泣きました。サックスなのにも泣きました。たまたまだろうけど。
だからこのグループ見れないなって思ったんですよね。重ねちゃうから。申し訳ないから。きっと生半可な気持ちで応援なんてできないから。当時はいろんなグループに手を出していたので、片手間で応援なんてできないと思ったから。
だから、だいぶ気になっていたけど、Aぇ! groupからは距離を置こうと決めて、距離を置きました。仕事が決まるたび、情報を目にしてはおめでとう!!という気持ちになっていたけど、そこまで、と一線を引いていました。
そこから時は経ち、関ジャニ∞に関しては、8BEATをみて、やっと5人のエイトを受け入れることができました。
5人を受け入れた理由はとてもシンプルで、『今、今日この景色が見れたのは、5人になったからだ』という気持ちが強かったから。
端的に言ってしまえば、自分たちのライブでJr.と絡むエイトをみるなんて、きっと今の体制だからできたんだろうなぁと思ったことがきっかけだったのです。上記の728の日も、きっと5人だったから、今のエイトだったから、やろう!になったんだと思うし。それぐらい、真弓くんにでろでろな村上信五さんが、嬉しくて嬉しくて。
そんな中決まった『18祭』。8BEAT不参加の私だったら行ってなかったかもしれませんが、野外ライブということ、また今年の夏はジャニーズに捧げる!!と意気込んでいたこともあり、とりあえず日産スタジアムは2日とも!!と、同行の丸山担と二人、チケットを握りました。
雨降る1日目が終わり、のぼせてしまいそうな暑さの中迎えた、頭の中にセトリが入った二日目。
前日のバックについていたJr.をみて、その数日前からはじまったWESTのドームツアーのバックを思い出しました。今年の夏、彼らのファンは何を思うのだろう、この特殊な分かれ方が彼らにとって大きな経験になりますように、と、なんとなく大倉くんが考えてることを想像しながら、関西ジャニーズJr.の成長をただただ願ってました。
実はその当時、私自身忙しすぎて、諸々少し不安定でした。週末のライブのために休みもなく働き、生活も不規則。おまけに労働先の終わりが見えていたので、同時に就職活動もしていました。情報を入れてる時間はほぼない状態だったこともあり、私の中にはあまり関西のJr.の情報がなかったです。なにわ男子がデビューした今、Aぇ! groupが引っ張っていっているなぁ、とか、AmBitiousの勢いがすごいなぁ、とか、それぐらいの知識量。また、当時関東に応援しているJr.がいて、その子達の応援に必死だったこともあり、他のJr.の情報はTLに出てくるものぐらいでした。
彼らにとってこの景色が忘れられない、目標になる、そんな素敵な景色になりますようにと、願いながら迎えたJr.コーナー。
おかしいと思ったのは、聞いたことがある、昨日とは違うイントロとクラップ音が流れてきたとき。
まず、ここで日替わり要素出す??!??!?!と驚きました。この時点では昨日の子達がこのまま歌うと信じて疑ってなかったです。
そして、驚きすぎて叫んだ(ダメです)記憶しかなくなってしまったのは、6人がモニターに自分たちのグループ名である『Aぇ! group』という名前と自分のフルネームを背負って映ったとき。
人生で一番驚きました。誇張なく。
隣の丸山担に、未だに思い出せる、と笑われるぐらい驚いてました。
ここから記憶がないです。ほぼほぼ。パフォーマンスの記憶が、完全に飛びました。
ただひとつだけ覚えているのは『あっ、大倉さんAぇ! groupのことデビューさせようとしてる』と直感的に思ったことです。
後々気づいたんですけど、Aぇが18祭に来れるのは、その日のみ。結局は流れてしまいましたが、サマパラが控えていたり、前日まで舞台やってるメンバーがいたりで、本当にギリギリの中で来てくれていました。私自身、あのペンライトを見せてあげれたんだ、とすごく幸せになりました。
その後も、ところどころで出てくるAぇ! groupの皆さん。このペンライトの景色を目指して、デビューしてほしいと願ったのが、7月の半ばの話。
8月の終わりに職場が終わりを迎え、約1ヶ月のニート期間に入った頃です。久々に実家に帰ったはいいものの、実家にほぼ娯楽がなく、YouTubeを見るしかない状態の中、脳死で笑えるコンテンツとして、Aぇチューブを一生回してました。本人たちもおもろいって言ってたしなぁ……と思いながら見たYouTubeは、““ガチ””でおもろすぎて、実家にかえる前はゴリゴリの関東のオタクだったのに、実家から出る頃には、Aぇ! groupが笑ってると幸せだし、頑張ってるのを知ると自分も頑張ろうと思うようになっていました。
おかしい。
気づいたらAぇ! groupが生活の一部になっていました。Aぇちゅーぶを毎週楽しみにしてる私がいたし、ヤンタン聞きたいからとradikoに課金してました。
おかしい。
私、世界で一番好きな映画が『少年たち』なんですけど、そういえばAぇの子出てたよな……と思って再生したら今より少し幼くて可愛いもんビバの二人がいました。黒房の奴らは静かにこっちを見ている……(ニュアンス)のあとの掃除のシーンで野次とばす黒房、大好きだったんですけど、より好きになってました。あと、Happyのときにいる関ジュがだいぶわかるようになってました。
おかしい。
そもそも応援してる他のグループ、結成前から応援してて、生半可な気持ちで応援してなかったんですよ。自担の舞台決まればチケットを取り、ライブ決まれば応募し、テレビ出演あれば録画し、雑誌出てるやつ全部買い、ツアバ決まれば遠征する。だったのに。
おかしい。
ほんとにこれはおかしい。
確かに数年前、生半可な気持ちじゃ応援できないと思って離れたけど、このまま行くとガチでエイト以外全部捨てるぞ、となるぐらい、彼らの作り出すエンタメがたまらなくて、私のツボで、大好きで。
そりゃそう、エイトでオタクとしての人格を育てられて、人生で初めての遠征は吉本新喜劇のオタクなんだから。間違ってはいないんですけど、それにしてもおかしい。こんなつもりじゃない。
ほんとに、これはマズイことになった、と心の底から思いました。
ただ、あぁほんとにこの人たちにデビューしてほしいんだ、この人たちの未来が見たいんだ、と思ったのはおてんと魂2日目の朝でした。
前日の夜から、TLに流れていた週刊誌報道が、翌朝情報局からのメールで事実だと知った、『Travis Japan デビュー決定』。
わかんないけど、めちゃめちゃ悔しかった。
実績も経験もTravis Japanのほうが上だっていうのは知ってたけど、でも次のデビューはAぇ! groupだと信じて疑ってなかったから。
初出勤日の朝から大泣きして、目を真っ赤にして出勤しました。
このときに、思ったよりもAぇ! groupが好きなことも、思い入れが強いことも、彼らと一緒にデビューを迎えたいと思ってることも、知りました。
その少し前に、Aぇ! groupを応援する意思は固めていたのですが、改めて、いろんなものを意識して、ちゃんと応援しよう、と心に決めました。
そこから約半年、毎週火曜日にAぇちゅーぶを見て、水曜日にはヤンタンを聞き、日曜日の朝には出勤時間を利用してTVerでグレショーをみる生活を送りました。
毎日、仕事がどんだけ辛くても、大変でも、今日は〇〇があるから、明日は〇〇があるから、あと少し頑張ろう。今日はそのために頑張ろう。そうやってAぇ! groupがどんどんどんどん生活の中に入ってきて、私の頑張る意味になっていきました。
Aぇ! groupが日常にいてくれるから、頑張れる日がどんどん増えていきました。
Aぇ! groupの皆さんのおかげで、アイドルの凄さを改めて実感しました。
私の人生で生きる糧をくれるのはいつだってアイドルだと、実感せざるを得ない半年でした。
全国ツアーも始まり、この先のAぇ! groupがどうなるかなんて、きっと本人たちもわからない日々が続いているとは思いますが、今を精一杯楽しませてくれる、一緒に楽しもうとさせてくれるAぇ! groupにこれから先も着いていきたいと、心の底から思ってます。
長文、読んでいただいてありがとうございました。言いたいことがまとまらなくて、削ったエピソードもあるので、他の機会にポロポロ出せたらなぁと思います。
それ以外にもこの半年の中で自担が小島くんになった話や、ガチネバで大泣きした結果、小島くんがうなぎを道頓堀で取る話を聞くまでストレスで胃痛と仲良くしていた時期があった話など、Aぇ担になってからのエピソードはまだまだあるのですが、それはまたの機会に纏めれたらなぁと思います。